周囲を気にかけてしまう性被害者

周囲を気にかけてしまう性被害者

「性暴力被害は、子供の心に深いトラウマを残す。『心配をかけたくない』という子供なりの優しさや気遣いから、大丈夫そうに振る舞っていても、本人は苦しみ続けているケースは多い。」引用元 読売新聞 教員からわいせつ行為、命絶った女子生徒の母「慕う気持ち利用…許せぬ」

被害者の立場なのに、自分が悪いと罪悪感も持ってしまう性被害者の方もいます。私もそうでしたし、この記事の女子生徒さんも、私と同じ感覚だったと思います。

人はつらい出来事が起きて、それが100%被害者の立場でも、人を完全に恨むことはできない。だからその葛藤で苦しむのだと思います。他者を悪にするよりも自分自身を悪にしてしまいます。

そして、子どもが一番に考えていることは、親のことです。親が平和で平穏であるよう願っています。それが崩れるくらいなら、自己犠牲を払ってでも親を守り続けます。

ですから、子どもの表面的な言葉や行動だけではなく、裏に隠れている感情に気づける大人が増えて欲しい。そうしたら、必然と性被害、性暴力は減ってきます。気にかけてもらえている存在、大切にされている存在だと認識できるだけで、それだけで、子どもは自分を傷つけることはしなくなるからです。そうすることで、この国の子どもたちを大事にしていることになり、それは、国を存続させることにもなります。

エホバの証人とがん患者

エホバの証人とがん患者

エホバの証人の組織にいた時は、病気の方は多かったように思えます。うつ病をはじめ、精神の不安定さ、発達障害、自律神経失調症、皮膚病、婦人科系疾患、難病、そして、がん。

女性特有の病気である、乳がんは何人かいましたので、身近な会衆で目立つのなら、全体ではもっと沢山いたと思います。

では、どうして乳がんが多いのかと考えた時に、聖書の教理が関係してくると思います。

私が学んだエホバの証人が用いる「新世界訳聖書」では、性に関する教えは厳しかったように思えます。(他の聖書や宗派とは比べたことがないので、同じなのか独自の解釈なのかはわかりません。)

そして、その性の教えが厳しかったので、私はこの宗教を求めてしまったと思います。このエホバの証人の組織に居ることは、どこかで安心感を持っていました。誰も性的なことで傷つける人はいないと安心していました。

性に関する教えはどのように厳しかったのか。例えば、結婚関係以外の不義の性関係である淫行は、聖書では禁じられ、将来訪れる「楽園」に入ることはできませんでした。その将来の命が関わるゆえに、多くの信者は「性は悪」ととらえたのかもしれません。私もそういう感覚は持っていました。

「ある人がユダにこう告げた。「あなたの息子の妻タマルは娼婦のようなことをして,しかも妊娠しています」。ユダは言った。「彼女を連れ出して,焼いてしまいなさい」(創 38:24)」
「神は,皆さんが聖なる者となり、性的不道徳を避けることを望んでいます。(テサロニケ第一 4:3)」
「淫行から逃げ去りなさい。…淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです(―コリント第一 6:18)」

そうすると何が起きるかというと、自分自身に出てくる、性に対する欲求を「悪」としてしまうのです。私の考えとしては、幼少から聖書を学んでいる宗教二世三世の若者は、性的な欲求を「悪」としているのだと思います。ですから性に関する「がん」ができてしまうのだと推察できます。そのがんには必ず隠れている精神性があるからです。奥に隠れている、隠しておきたい感情が隠れています。

宗教は教えが絶対なので、どうしても自分自身が「悪」になってしまいます。素直な子どもなら尚更です。純粋に教えを受け取ってしまいます。

ですから、宗教は時として人を支配もできますし、人格形成もされてしまい、本当の自分が「何者」なのかわからなくなるのではないでしょうか。悪い言葉を使えば、ロボット生産のようなものです。聖書の教えをインプットされて、すべて同じ人のように見えていました。同じ言葉を使い、同じ表情を出し、すべての信者が仮面の姿でした。

そして、がん患者は何かを必ず封じて生きています。何かを溜め込んでいます。それが塊になってがんという形になっているのだと思います。

がんは、環境や食からくる社会毒が原因の一つでもありますが、精神も必ず関係していることを知って欲しいです。そして、宗教の教理がとても影響しているということも、もし、このブログに辿り着いた宗教二世三世の子どもたちに伝わればと思います。

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

他国の子どもたちのほうが可哀想と思っている日本国民

発展途上国や戦争、紛争地域で、泣いている子どもたちを、テレビなどの映像で見ることがあると思います。その状況から、多くの方は「日本は平和だ」「子どもたちは日本で生まれ育ってよかった」と、他国の子どもたちのほうが可哀想だと思うのが一般的です。でも、本当に日本の子どもたちは幸せなのでしょうか。守られているのでしょうか。この日本は平和で安全で、涙を流す子どもたちは少ないのでしょうか。

この国の若者(15~39歳)の死因第一位は「自殺」です。2020年は、小〜高校生の自殺者は499人と過去最多でした。(これは氷山の一角です。)
若年層の自殺をめぐる状況 – 厚生労働省
コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状について 文部科学省
PRESIDENT Online「なぜ子どもの自殺が「過去最悪」となっているのか」

実際、私は、大人から守られることはなく、性被害者となりました。あまり守られたという感覚は持っていません。

そして、現代では、児童相談所(または児童養護施設)の問題もあります。ここでも、性被害や虐待などの問題があり、守られるべき場所で子どもたちは守られていない現実があります。
児童相談所の怖い話/内海聡
児童養護施設「わいせつ職員」5年で47人、被害に遭った子供は69人…読売調査 読売新聞オンライン

この日本は、子どもたちにとっては戦場のような場所になってしまいました。生き抜くために子どもたちは今まで以上に必死にならなければいけません。

そして、本来、子どもたちは信用したい大人を信用できないほど狂った国になっているのです。涙を流している子どもたちは今もどこかでいるでしょう。

子どもたちの病気も多く、今まで聞いたことのない疾患も増え、精神疾患も増え、食べていくことも難しい子どもたちもいます。

家庭不和も増えてきているのではないでしょうか。どこか冷えきった家庭になってしまい、感情を隠す子どもたちは増えています。そして、大人や親の顔色を伺いながら、繊細に生きている子どもたちは増えています。

しっかりこの国の現実を直視してみると、悲しんでいる子どもたちは、思っている数よりもとても多いのです。

その悲しみや涙を喜びや笑顔にしていくには、大人たちがまず、この国が沈みかかっている状態だと自覚することが大事です。子どもたちの見えない、聞こえない声や感情に気づいてあげることで、ほんのわずかかもしれませんが、変化が訪れます。

そして、一番重要なのは、子どもたちを苦しめているのが、私たち大人だということを自覚することです。目先の利益にとらわれて、楽なほうへ流されて、子どもたちの育っていく環境を破壊しているのは大人だということを、まずは認識するべきです。

性被害者として「気持ちが悪い」と思われることが一番嫌だった

性被害者として「気持ちが悪い」と思われることが一番嫌だった

自分自身が性被害者だと認識できたのは、社会人になって性を意識してからでした。それまでは何をされたのか理解ができていなかった。子どもの頃に性被害を受けていたのなら、私と同じような感覚を持っている人は少なからずおられるのではないでしょうか。

それからです。人を避けるようになったのは。自分自身が性被害者だと認識してから、ひと目を気にするようになり、少しずつ人から遠ざかっていきました。人が怖かった。今でもそれはありますし、どうにもならないのもわかっています。

そして、一番嫌だと思ったことは、「気持ちが悪い」と思われることでした。経験を話すことで、避けられるのではなく、「気持ちが悪い」と思われることが嫌でした。きっとそんなふうに思う方は少数だと思いますが。

本当は被害を受けたら、周りに話すことが一番大事なことだと思います。話して助けを求め、二度と被害が起きないように。

しかし、被害者はきっと話さない。

だから、この世の中からは性の虐待は無くならないし、苦しむ子どもたちはもっと増えていくでしょう。子どもたちは、NOを言うこともできず、そもそも何をされているのかさえわからない。

それでも、子どもたちが性被害を受けることがない社会にしていきたいと思い、身近なところで性被害があることを、大人や親が認識していて欲しいなと思い、私もこうして経験を開示しています。

もしかしたら、あなたの隣にいる人が性被害者なのかもしれません。そういう認識を持っていただけましたら、私の経験も生きてきます。どうか、苦しむ子どもたちが増えないよう、身近な子どもたちを守ってください。注意深く見守り、気にかけてあげてください。