しあわせになろう

しあわせになろう

人が罪悪感を持ちながら生きているというのは、精神分析をしていると必ずつきまとう解釈です。

罪悪感や悲しみなどさまざまな感情は内面的なものであり、精神や心の領域なので実際にみることはできません。しかし病気や症状から考察し、感じとることができます。そのときに用いるのが東洋医学思想です。東洋医学では臓器に割り振られた感情を知ることができます。五臓と五志の関係性です。

肝臓(胆臓)怒り、義憤
心臓(小腸)喜び(笑)嫉妬
脾臓(胃)共感、依存、思い煩い
肺(大腸)悲しみ、罪悪感
腎臓(膀胱)恐怖

かっこ内の臓器は表裏関係の臓器で、例えば肺と大腸はセットになります。そして、肺と大腸には、悲しみや罪の意識という感情があてられています。さまざまな食べ物もそれぞれの臓器に割り振られており、肺、大腸には辛い食べ物があります。悲しみは涙にも直結しますので、辛いものを食べて「出す」という意味合いもあり、肺の機能を亢進させるものとなります。東洋医学の考え方は、自己の心や精神に向き合うときには、特に活用してほしい考え方です。

現代のがんの上位に入っているもの、肺がんと大腸がんです。東洋医学から潜在的に隠れている、隠している感情が何かと考えたとき、悲しみや罪の意識を強く持っているともとらえることができます。病態から考えると絶対に表には出したくない、気づきたくない、死ぬまで誰にもいわないぐらいのレベルではないでしょうか。

私が相談を受けたクライアントは、悲しみや罪の意識を持っている方がほとんどでした。それは、私も同様だからだと思います。同じ苦しみや悲しみを持ち合わせた方が必ず近くに引き寄ってきます。引き寄せの法則というよりも、表面的な引き寄せでもなく、これは深層心理から影響される周波数によるものだと思います。近い周波数のものはどうしても引き寄ってしまう。私の人生も振り返ると、そのように必然の出会いと出来事の連続でした。

その方たちにはまずは、自己の闇、心と精神の闇、隠してきたもの、出せていなかった感情、偽ってきた自分の姿などをみていただきたくてそのように対応してきました。そして、その闇をみた後は、「しあわせになれ」とそのような雰囲気のことを願っています。もう自分の望む道を進んでいいんだよと。もう十分、苦しんできたからしあわせになってもいいんじゃないかなと。私が私自身に問いかけ、言葉で背中を押しているメッセージでもあります。

しあわせになるという自分の姿を受け入れる勇気と許しを選択してほしい。自分はいいんだと思わずに、小さなしあわせでもいいから自分を自分で喜ばす選択をしてほしい。恐れず、卑屈にならず、ひがまず、しあわせの舞台に立ってほしいです。

あなたにとって向精神薬とは何か

あなたにとって向精神薬とは何か

私にとって向精神薬という薬は、いろいろな意味がありました。

薬で傷つきたかった。
社会や人間から距離を取りたかった。
自分を嫌いになりたかった。
怒りを出したかった。
考えたくなかった。
眠りたかった。
など。

人は、睡眠薬を飲んでいたら、睡眠をよくする薬という解釈で服用していると思います。それが数ヶ月の期間で、睡眠がよくなればそれでいいと思います。しかし、何年、何十年と飲み続けている人のほうが多いのが現実です。それでは薬の奴隷となっています。本質の問題は一体何だったのでしょうか。何が原因でうつになり、眠れなくなり、気力がでないようになったのでしょうか。

そこには必ず原因はあります。

服用する以前の問題があり、回復が悪ければ家伝的要因や幼少期の原因も考えられます。

「根本の原因とは何か」というところに意識を向けることにより、私のうつ病は病気ではなくなりました。睡眠の問題もさまざまな二次的疾患も解決しました。

あなたの本当の原因はどこにあるか。考えてみたことはありますか。

そして原則的なことである、そもそも健康な人には薬は必要がなく、毒にしかならない薬を、うつ病や不眠になれば、どうしてその毒という薬を飲むのかということを、子ども心で考えたことがありますか。本当にあなたの症状を治すための薬ですか。

性被害者と怒り

性被害者と怒り

人には必ず後悔はあると思います。もちろん私にもあります。子どもの特異性や生き方や考え方を、宗教で抑えてしまいました。父親祖母を助けれなかった後悔もあります。そして、姉という立場をおろそかにしてしまった。妹には優しさを表現できていなかったと思います。

妹とは、20歳まで一緒に暮らしていました。私は性被害者としてどこか苛立ちがあったと思います。でも自分ではまったく気づいていなかった。苛立ちや怒りは深層心理によるものであり、本質的で根源的で欲求的なものに突き動かされ、時々怒りが妹に向かっていました。他にはその感情は向かっていませんでした。

今振り返ると、伝えたい感情、性被害を受けてなんともいえようにない感情を、親や誰かにわかって欲しかったのだと思います。

もっと明確に、自分の怒りの根源が理解できていたらよかったのにと思うことはあります。そうしたら怒りや苛立ちは少しは静まっていたと思います。そんなこと小学生には無理かもしれませんが、それでも早く理解できていたらと後悔ばかりです。

ですから大人や親が、子どもの些細な言動に気づいて欲しい。性被害は日本でも常態化しており、ただ当事者がいわないだけであり、性の悩みを持っておられる方がみえていないだけであり、現実には悩んでいる方はいるのです。

そして、性被害者の悩みの根源は、その時の状態ではなく、トラウマといわれるものではなく、自分の精神の動きを感じ取り、自覚したときが一番つらいというところです。ですからずっと性被害者として弱者のままになってしまいます。自分で自分を乗り越えなければならない現実は、それもまたとてもつらい現実です。私はあなたに同じ道をおすすめはしません。あなた自身でどちらかの道を選択していただきたい。

性被害者という弱者のままでいるか、もしくは自己の精神に向き合い、もうそこから逃れられるほどの過去の自分よりも強者になるか。そのどちらかです。

弱者は結局、誰かに救ってもらうのではなく、自分でそこから這い上がれる何かをみつけ、強い熱量で動くしかない。それが人として生きるということでもあります。

人のせいにしてまで得となるもの(疾病利益)

人のせいにしてまで得となるもの(疾病利益)

会話をしていると話し方や内容には、自分は正しい、相手が間違っている、というものはよくあります。私自身も自分の話す言葉にさえそうあるのが現実です。人は自分の正しさを守りたいというプライドを持っていることは確かであり、その正しさを破壊されないようにしているのが心の絶対法則でもあり、人間心理でもあります。必ず被害者意識と正当化はセットになっています。

私がうつ病のときもそうでした。うつ病という病気の状態を維持するために悪者をつくっていました。だから自分はうつ病になっているんだと、正当化もできました。今振り返ってみると、おろかで醜い状態でした。

人のせいにすることは簡単です。そして楽です。動かなくて済むからです。自分が変わらなくて済むからです。病気を治さなくて済むからです。誰かを悪にして自分を否定せず高めておけるからです。そのようにして醜い自分の姿を直視しなくて済むからです。

変わりたくない強い意志のあらわれでしかない。ですから言い訳ばかりの連続です。

人は変わりたいと思えば、一瞬で考え方も生き方も変わります。私のうつ病も一瞬でその道から別の道へと変化しました。私がうつ病はもう嫌だと、薬はもう嫌だとそう望み、決定し、別の道、うつ病はやめようと病気の状態を手放す道に進みました。当時はその行動はつらかった。いくら他の患者と比べたらまだ楽なほうだといわれても、断薬も社会復帰もつらかったです。それでも変わりたかった。

言い訳ばかりや人のせいにしているときは、変わりたくないあらわれでしかない。疾病利益、得があるからです。しかし、裏を返すと損をしている状態でもあります。得と損もセットです。表裏一体です。そういうところを直視していくことで、何かしらの現状の変化は訪れます。

そして、変化がないときの1番の理由は、まだあなたは人のせいにしているという「楽」を選んでいるだけで「変わりたくない」ただそれだけです。