宗教で病気は治るのか

宗教で病気は治るのか

難病をはじめ、がんなど命が脅かされている場合、必死に治療法を探すと思います。西洋医学では解決されず現代医療や医師から見放されてしまった時は、特に宗教やスピリチュアルにハマってしまうのかもしれません。では、本当に病は宗教で治るのでしょうか。

私は10年間、うつ病、その後躁うつ病を経験しましたが、宗教で治ったということはありませんでした。周りの信者も病気を持っておられた方はいましたが、宗教で治っているという方はいませんでした。

宗教の歴史を振り返ると、聖書でもイエス・キリストは、病気を癒やされた記述がありますが、現代では、そのような奇跡的なことは、宗教組織に46年間属してきて目の当たりにしたことは一度もありません。

もし仮に、宗教で治ったという方がおられるのでしたら、それは、生き方や考え方に変化があり、生活習慣にも影響され、食べている物の見直しもされたから治っていったのかもしれません。宗教を始めたことにより、人間関係で何かしら変化があったのかもしれません。

宗教が直接的に病を治したというよりも、間接的に生き方考え方に影響を与えたのではないでしょうか。

ですから、何かしら困った症状がある時は、精神的なものや物質的な事柄に目を向けるのがよいと思います。何か必ず目の前に問題を抱えていますので、その問題に向き合い、社会毒が関係しているという視点から観察し、生活環境を整えることも大切です。

病気の問題は、西洋医学や宗教に頼り過ぎず、自分自身が作り出しているという視点を持つことで変化が訪れるのだと思います。私も宗教にすがることも、医療にすがることもせず、うつ病は治っていきました。

精神薬を断薬できてもそれで終わりではない

精神薬を断薬できてもそれで終わりではない

最近では少しずつかもしれませんが、向精神薬の危険性が周知されてきました。抗うつ薬や安定剤、睡眠薬を飲んで大丈夫なのだろうか、本当にこの薬で治るのだろうかと相談にこられる方もいます。

薬の危険性を知ることはとてもよいことです。現代では西洋医学による治療が主流なので、社会や医師は、薬を受け取る側が危険性を訴えない限り薬を処方してきますので、私たちが関心を持って使う薬の情報を得ることが重要です。市民が常に自分の頭で考え、選択することで薬害は減ってくるのではないでしょうか。誰かにいわれたとか、誰かに勧められたとか、そういう選択では薬害はなくなりません。

動画 医薬品をめぐる社会の仕組み・役割
動画 私たちにできること―学習のまとめ
薬害を学ぼう 厚生労働省

そして、薬の危険性を知って、向精神薬をやめていく方もおられます。私もその一人です。

しかし、薬をやめただけでは終わりではなかった。

常にどこか苦しくて、でも、その苦しさや生きづらさの原因が全くわかりませんでした。やりたくないことまでやっていたり、人を避けてしまったり、生きる喜びが持てなかったりなど、精神薬で思考が止まっていた状態からいろいろと考えるようになり、薬をやめてからもつらい毎日でした。

断薬してから8年。やっとそれらの理由がわかり、今、人生の中で納得のいく生き方をしていると思います。今までの自分の特質や性質を封じたり出さなかったりしてきたので、なるべく抑えないようにしようと選択するものも変わってきました。がっかりさせてしまうかもしれませんが、嫌なことにはNOがいえるようにもなりました。

多くの方は精神薬を断薬したらそれで終わりだと思われますが、まだ生きづらさを感じているようでしたら、原因や要因は必ずあります。現実よりも過去や幼少期、または自覚できていない部分に理由があります。どこか生きづらさを感じている方にこそ内海式精神構造分析法を活用していただきたいと思います。

音を楽しむことをやめた理由

音を楽しむことをやめた理由

小学生からマーチングバンドに参加して、気づくといつも私の日常は、音を楽しむことをしていました。社会人になってからは数年ですが、バンドメンバーとして参加していました。特に歌を歌うことが好きだった。

音楽が好きな理由は、父親が歌をよく歌っていたから。でも、私の記憶には歌っている姿は全くありません。しかし、親戚の方に会うといつも、「あなたのお父さんは歌がとても上手だった」とよく聞かされていました。

父親が大好きだった音楽を自分自身がやめてしまったのは、エホバの証人になってからです。この宗教(私の所属していた会衆)では、何故かカラオケには行ってはいけないという決まりがありました。聖書では明確にカラオケが駄目ということは書かれていませんでしたが、「世の人」と交流を深める場所には行かないようにということでした。

私にとって音を楽しむことをやめるということは、父親から引き継いだものを断ち切るという意味だったと思います。もしかしたらそれは、罪悪感からくるものだったかもしれません。父親が亡くなっているのに私は生きていていいのかという罪悪感。

内海式精神構造分析法やメタトロンで、その罪悪感が明確に理解、自覚できましたが、なかなか手放せていない自分もいます。しかし、もうその罪悪感を手放したい。

ずっと音を楽しむことをやめていましたが、最近は少しずつ楽しんでいこうと思えるようになりました。

人生の最期は音楽を楽しみながら終わらせたいなと思っています。

人生、悔いのないように、今、できることを、やりたいと思ったことをやっていこうと思います。精神分析をして意識を変えることができたことが何よりも嬉しいことでした。ほんの少しですが、罪悪感から開放してあげられそうです。

家族が宗教をはじめたときに考えること

家族が宗教をはじめたときに考えること

家族が宗教を始めた時、多くの方は動揺されるのではないでしょうか。カルトではないか、金銭的なトラブルや身体的トラブル、その他、様々な問題が起きるのではないかと不安になると思います。

その時に、早くその宗教組織から離さなくてはと、家族に宗教をやめるよう説得されると思います。しかし、その宗教を始めたきっかけは些細な事柄だったかもしれませんが、必ず大きな理由があります。根深い問題が絡んでいます。ですから、まず、「宗教」とは何なのかと考えてみてください。

宗教は、教理で支配、コントロールすることもできますし、宗教をやる時点で何か苦しい作業のような気もします。荷を課していくようにも思えます。家族や人間関係の問題などから現実逃避として宗教にハマってしまうかもしれません。何か教えを強く求めているのかもしれません。家族を困らせるため、または逆で家族を一致団結させるためにあえて問題を作り出しているのかもしれません。

「宗教とは何か」と、宗教にのめり込んでいく家族や大切な人の視点で考えていくと、何かしらの解決方法が見つかってきますので、宗教が何に置き換えられているのか考えてみることをおすすめします。