向精神薬の断薬に必要なのは「自己卑下」

向精神薬の断薬に必要なのは「自己卑下」

自己卑下。断薬したいのならもうこれだけでいいと思います。

一番最初は私もそうでした。

治してもいない薬を10年間も飲んでいたのか。
夫に甘えたいだけだったのか。
自分の食べるものすら自分自身で準備できていない。
一日中寝ていて食べさせてもらっている現実。
そのうちトイレも一人でいけないのかもしれないと思うくらい、体力も落ち、自立できていない。
文句ばかりで自分自身を変えようとしない。
現実を人のせいにしている。
常に被害者意識の塊。

向精神薬を服用してから10年後、書ききれないほどの自分自身の醜さに直面しました。やっと自己卑下できたのです。それからは減薬に失敗していた状態から3ヶ月で断薬できました。もう本当にそこから抜け出したいと思ったのだと思います。

生き方や考え方や自分自身の闇や幼少のトラウマやエピソードなど、それらに向き合うのは、最初でも後でもどちらでもいいと思います。自己に向き合えばなんだっていい。自己卑下は自分自身にもう向き合い始めています。

まずは「自己卑下」がとても重要です。醜さを自覚することが大切です。

1:09分辺り

岐阜の足もみケイちゃんに足もみしてもらいました〜!

岐阜の足もみケイちゃんに足もみしてもらいました〜!

施術が優しい。

足を揉むのは強弱がありますし、強弱を感じる個人差もありますが、人のからだ(足も含め)を丁寧に扱う、足もみケイちゃんでした!

足は沢山のツボもあり、足に毒が溜まるともいいます。

そして、足にも人体がある。

指先のほうは身体の上のほう、頭のほうで、かかとのほうは身体の下部のほうに割り当てられています。ですから、揉まれた時に痛みがある部分は身体の弱っている部分でもあります。

今回、痛みは腰の部分とホルモン系、甲状腺の辺りにありました。動きたくないのかなと考察しました。笑

実際に、少し元気がなかったので、ドンピシャな感じでした!(冬は毎年弱い。)

足もみという施術からでも自分自身に向き合うことができるのはいいですね。

足もみケイちゃんの『らいふ』はアナタの「體」や「心」、そして「生活」「人生」「生命」に触れてくださるので、自分自身に向き合う機会にもなったらいいなと思います。

岐阜方面で足もみを受けたい方は、足もみケイちゃんの「足もみ よもぎ蒸し らいふ」にぜひ行ってみてくださいね。

足もみ よもぎ蒸し らいふ Facebookページ

やめたいって思った時にやめれないのが向精神薬の恐ろしいところです

やめたいって思った時にやめれないのが向精神薬の恐ろしいところです

「薬をやめたい」

向精神薬を服用されている方でしたら、一度や二度、または、何年もそう思ったことがあると思います。

私も10年間、向精神薬を服用していましたが、後半は「薬をやめたい」と何度も思いました。そして減薬に試みましたが、挫折してしまいました。

調子が悪くなる。

薬を減らしていくと調子が悪くなっていったのです。その時は、この調子の悪さが「禁断症状」だとは全く気づきませんでした。薬をやめる時に禁断症状が出るなんて知りませんでした。ですから、調子が悪くなった時は、「まだ、治っていない。」私のうつは治っていないから、薬は必要なんだと勘違いしてしまいました。

少し減薬をやめている時に、この状態が「禁断症状」であり、むしろ向精神薬は状態を悪化させるだけという情報が耳に入り、それから本を読んだり、動画を見たりしました。そして、すぐに断薬に取り掛かりました。

やめたい時にやめれない薬とは一体なんなのでしょうか。
服用する前よりも悪化してしまう向精神薬は、本当に人々を幸せにするのでしょうか。
すべての精神疾患の方がこの薬で病気を治し、幸せになっているのでしょうか。

私には悪い景色しかみえません。向精神薬を服用したために、人生がボロボロになっている人ばかりです。働けない、動けない、友達と仲良くなれない、孤立、孤独、挙句の果てには、自殺願望さえ抱いてしまいます。私もそうでした。

多くの方はやめたいと思っているのに、やめられない現状に苦しんでいると思います。しかし、私はもう本当に、こころの底から「薬をやめたい」とそう思って、能動的に動きました。情報収集し、リスクがあることも理解し、どうなったとしても責任を取る覚悟を持ちました。誰かに治してもらおうとはしませんでした。

自らすべてを背負い、行動しました。

それくらいの思いがなければ、向精神薬はやめれないのかもしれません。薬に依存しているのですから当然です。強い意思を持ち、精神医療、医学の闇を完全に理解し、薬は毒として作用しているものだと認識し、そして、自分自身の問題、内的要因に向き合うことが必要です。

向精神薬をやめれた多くの方は、自分自身が愚かだったと認めた人です。治しもしない薬、自分自身の生き方考え方を自己卑下できた人が薬を手放していきます。

自分を助けることができるのは自分自身

自分を助けることができるのは自分自身

断薬して8年。

8年も経っているのに、それでも、調子の悪い時はあります。向精神薬を飲んでいた時のような悪さはあります。それは仕方ないことです。そういう薬を、たちの悪い向精神薬を服用するとはそういうことです。服用し続けても何も幸せなど訪れません。

私にだってまだつらい時はあるんです。

精神科に通ったのも自分。

薬を手にしたのも自分。

薬を口に入れたのも自分。

飲み続けたのも自分。

すべて自分自身が選択し、行動した結果です。

自分自身でいろいろなことを考え、選択し、背負い、責任を取らなければいけない。私はそう思います。

「優しくない」

そう思われる方のほうが多いと思いますが、優しさでは決してその場所からは抜け出せないですし、暗闇から出ると決意し、行動を取るのは当事者です。自分自身です。誰にもできない。優しさなど求めず、救いなど求めない強さを持ってほしい。

能動的にそこから抜け出そうと動き出した時は、暗闇だった道に光がさしてきます。

自分自身でそうするしか選択肢はないのです。

自らの内側から強さを作り出していくしか方法はないのです。

ですから、そのためにも自分自身に向き合って欲しいのです。向き合いはじめた時に、人は強さを身に着けていきます。自分自身の今の問題、過去の問題、幼少、育った環境のエピソードに向き合えば向き合うほど強くなっていきます。すべてを遠ざけていたものに向き合いはじめた時に。