日本の寝たきり老人は200万人いる?!

日本の寝たきり老人は200万人いる?!

厚生労働省による寝たきり老人の人数は、データとしてあげられていないようですが、予測数として、

1993年 90万人
2000年 120万人
2015年 200万人
2025年 230万人

となっていました。
終末期医療のタブー!? なぜ欧米にはいない「寝たきり老人」が、日本は200万人もいるのか? エキサイトニュース

欧米に寝たきり老人はいない 増補版-コロナ時代の高齢者終末期医療/宮本 顕二 (著), 宮本 礼子 (著)

ちなみに、欧米では寝たきり老人はほぼいないです。

では、どうして日本では寝たきり老人が200万人もいるのでしょうか。

私の考えとしては、自立心が低下していることが要因だと思いますが、社会毒がとても影響し、認知症などにより寝たきりの状態になっています。

社会毒とは、薬やワクチンをはじめ、化学的な添加物、農薬、甘いものや牛乳、古い油や使い方を間違った油、フッ素や遺伝子組み換え食品など、日本では避けてはとおれないほど、社会毒は日常にあふれています。意識しない限り、からだに入ってきます。

社会毒を意識しているかたは、この日本国内ではまだ少数でしょう。ですから、寝たきり老人や病人は増えるばかりです。生まれた子どもに障害が増えているのも同様です。本当にこの国はからだも精神も国というからだも、すべてがボロボロ状態なのです。

社会毒を意識しないというのは、自立心がないからといえるかもしれません。

自立心がそもそもあれば、「毒」というものを意識するでしょう。薬はどう考えても「毒」なのです。毒として作用しているだけです。だから救急医療では助かるいのちがあります。どこでその毒を使うのか。それが重要だというのに、この国の人は、安易に薬を利用します。それさえも自立心がないからです。自分でその症状を治そうとしない、何が原因なのか考えず、症状を封じるだけの対症療法しかしていないのです。だから永遠に薬と医療は存在し続けます。そして、毒づけになり、廃人になっていくのです。

この世には情報がたくさんあります。調べればいくらでも見つかるくらい情報があります。

まずは、自分自身で調べてみてください。そこから自立心を育てることができ、人任せ医者任せ国任せにしなければ、無駄な毒はなくなり、病者は減り、寝たきり老人も減ってきます。

すべては、私たち国民が作り出している現実です。

寝たきりがいないスウェーデン、高齢社会なのになぜ?| 北欧在住ゆるトーク

医学不要論/内海聡(著)

いのちとは何か

いのちとは何か

今日、ご紹介する書籍では、無脳児を産んだ母親のお話が綴られていました。
「幸せなお産」が日本を変える/吉村正

胎児に障害があると、お産のときにトラブルになるリスクがあり、妊娠中毒症になる可能性もあるそうです。ですから、医師や周りの家族は中絶を勧めましたが、母親は、「たとえ頭がなかろうと、どうであろうと、この子は私の子です。私は産みます。」と、目の前のいのちを守る選択をしました。生きているいのちを、自ら奪わない選択をしました。

その選択は、精神的にも肉体的にも強さが求められたと思います。

そして、自分がその立場になったとき、同じ選択ができるだろうかと考えてしまいました。同じように生きているいのちを生き続ける限り守りたいと思いますが、実際にそのような場面になったとき、人は選択を変えるかもしれません。それでも、彼女の強さを見習いたいと思いました。

そして、日々の生活でも、人や人間という視線で見るのではなく、「いのち」がある、生きている「いのち」という重みを持って、そういう意識を持って、残りの人生は生きていきたい。

そして、現代医療を過度に利用して、自然に逆らうことをしなければ、人はもっといのちの重みを知り、大切にすることができます。自然的な思想を、自然の中で人間は生きているということを、次世代、七世代先の子孫に伝えていくことができればと思います。

宗教から逃れられない理由

宗教から逃れられない理由

創価学会の家庭に生まれ、嫁ぎ先はエホバの証人。宗教はもううんざりと思っていましたが、エホバの証人から脱退して4年、今では宗教に関する悩み相談も受付けています。整体くららは整体がメインで始まりましたが、今はほぼ相談対応がメインです。

ではどうして宗教から離れることができないのか。

そう考えたとき、自分には重い荷を常に背負わせておかないといけないという考えが浮かんできました。

日本は修行の国といわれていますので、そういう思想からくるのかもしれません。または、父親や先祖からくる「罪」を引き受けているのかもしれません。ただ単純に何もない人生がつまらないと思い、荷を課しているのかもしれません。生命力の弱さからきているのではないかとも思えます。

今では、宗教に関する歴史を調べることが楽しさの一つになっていますが、どこか呪縛のような感じでもあります。いい面もあれば裏の面もある。

あなたがもし、今の宗教を重荷に感じ、でも、そこから逃れることができないのなら、その理由は必ずあります。嫌だと思っていた宗教を何十年も、私もやってきてしまいました。脱退はして今はどこの宗教組織にも所属していませんが、宗教に関する悩み相談を受付けています。

特に宗教二世、三世のかたの持っている生きづらさ、親への対応の相談、自分がどうしたいのかわからないなど、様々な悩みがありましたら、ご相談を受付けておりますので、メールでご連絡くださればと思います。

内海式精神構造分析と先祖供養の関係性

内海式精神構造分析と先祖供養の関係性

内海式精神構造分析では家系図を作成していき、そこから何を封じてきたのか、何を演じてきたのか、何を見て、何を見てこなかったのか、どんなフラクタル構図があるのか、どんなジレンマやメタファーが隠れているのかなど見ていきます。ですから、先祖が必ず関係してきます。先人が何をおこなってきたのか、どの点が同じで、どの点が違うのか、それを見ていき、そこから持っているあらゆる問題の根源を見つけていきます。

そうすると、「先祖供養したほうがいいのか」と思うかたも、少なからずいるのではないかと思います。

私はお墓参りには今も行っていませんし、内海式精神構造分析法を発案された、内海聡医師からもそのようにいわれたことは一度もありません。先祖供養しようがしまいが、問題をよい方向へ向かわせるためには、あまり関係はないと思っています。

先祖供養、先祖崇拝したければそれでいい。
したくないほど憎しみがあるのならしなくてもいい。

供養よりも大事なことは、前の歴史に向き合う、つまり、自己に向き合い、今まで気づくことがなかった事柄を自覚することが一番重要です。

自分自身がどこからどのようなつながりを持って存在し始めたのか、自分自身が一体「何者」なのかということを知ることが大切だと思っています。生まれた時と幼少期の環境も知ることが大事ですが、自分が存在する前に何が起きたのか、どういう家系だったのかと、掘り起こしたり、想像したり、向き合う作業が重要です。すべてはつながっており、私たち人間は同じことをしてしまうからです。形は変わっていても同じようなことをします。

家系図は情報が多ければ多いほど推察の材料となりますが、パターンがある程度わかれば、それほど情報がなくても分析できます。特に私のような生きづらさを感じているかたや、死が関係するような病気、ずっと精神薬を服用されているかたは、内海式精神構造分析で自分自身を知るのも、一つの手法だと思います。この分析法だけでなく、自己に向き合う姿勢が持てたら、それは誰かのせいにするのではなく、自分自身に問題の根源があるという認識が持てていますので、そういうかたは、問題に対する解釈が進んでいきます。