人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

人を信じることができず悲しみを抱いている人たちへ

誰も助けてはくれない。

私の人生の中でこのように感じることはよくありました。

「誰も信じられない。」

そう感じている方はおられるのではないでしょうか。人を信じることができず悲しみや不安や絶望の世界におられるのではないでしょうか。

私は、人を信じなくてもいいと思います。むしろ、人間すべてが実は人など信用していない。そう思えるのです。

もし、人が人を信じているのなら、契約書、誓約書など必要ではないですし、様々な紙による書類などもいらないと思います。人は人を信じていないから、現代では録音機器なども開発されているのです。

人を信じることができないと感じておられる方は、その「自覚」ができているだけです。受け入れているだけであり、ですから苦しさや悲しさも得てしまっています。人を信じることができないという「認識」や「自覚」ができているということは、私はいいことだと思っています。

その「認識」や「自覚」がないからこの世の中は悪くなっているからです。

良いことをしているようで良いことではないことばかりしているのが今の社会です。子どもに精神薬を飲ませて、親は病気の子を抱えていると被害者を装う社会です。精神薬で子どもを傷つけているという「認識」と「自覚」があれば行動は変わってきますが、それができない方のほうが多いから今の現状となっています。日本では精神薬の消費大国であり、精神疾患の患者が増え続けているのが現状です。

「認識」や「自覚」をすることは、現実を受け入れ、現実に向き合えている証拠でもあります。私は人が信じられないと素直にその感情が出せていることで、それだけでいいのだと思いますし、現実直視できる強さも持っているので、嘆く必要もないのだと思います。

そして、すべての人があらゆる問題に現実直視できた時にだけ、互いに人を信じることができる社会になっているのだと思います。

向精神薬を服用することで怒りを出していた

向精神薬を服用することで怒りを出していた

向精神薬を服用してから、様々な症状が出てきました。それは薬の副作用といわれていますが、私はあえて薬による反応、薬の作用だと言いたい。服用する前にはなかったものだからです。

薬を服用してからいろいろな感情も出てきました。悲しみ、不安、涙、怒り、イライラ。

どの感情もとてもつらいものでしたが、一番つらかったのは、「怒り」です。

いつもイライラし、怒ってもいました。

あの時は、怒りを出したかったのだと思います。いろいろな問題があり、人間に対しても矛盾や理不尽さを感じ、被害者意識も強かったため、怒りを出したかったのです。精神薬の力を借りて。

今、あなたにはどんな感情がつきまとっていますか?

鬱や精神的に調子が悪い状態でしたら、必ず、感情の起伏があると思います。

その出ている感情は、実はあなたが望んでいる感情でもあります。出したい感情です。

もし、悲しみの涙が出ているのなら、それは、心の奥底では、あなたが悲しむことを選び、涙を流したいと望んでいます。もし、孤独を感じ、絶望感を抱いているのなら、そうしたいあなたがいるのです。

人には必ず喜怒哀楽があります。どの感情も悪いものではない。

私にとっても、当時の怒りやイライラは必要であり、本当はなぜその感情が出ているのか、怒りの裏に隠れたものに向き合う必要がありました。しかし、向き合うことができず、自分の深層心理、隠している気持ちに気づくことはしばらく後となりました。

私は子どもの頃は怒りは出せていたのですが、大人になるにつれ出せなくなりました。怒りを出してはいけないと封じていたのだと思います。そして、封じてしまったものが精神薬により出てきました。

うつ病だけでなく、精神薬、そして精神科さえも自分自身が望んでいたのだと思います。

目の前にある景色は、常に、自ら作り出している世界です。

人が発している言葉には深い意味がある

人が発している言葉には深い意味がある

教場に出てくる都筑耀太。
教場(ウィキペディア)

「警官に恨みがある」といいながらも警察官を志望している。

風間教官が都筑のこの矛盾に対して問い詰めていくと、警官に恨みがあり文句がありながらも、その裏に隠れていた感情に都筑本人が気づいていく。過去の父親の経験してきた出来事により警察官に失望し恨みを抱いていたからこそ、「苦しむ人の側に立つ警察官になりたい。」と、今まで気づいていない感情を吐き出すことができた。

これと似たような作業が内海式精神構造分析法です。

人が発している言葉には嘘が多い。好きといいながら嫌いだったりもするし、いい顔をしながらも嫌いな仕事をしている人もいます。子どもたちは親の顔を伺い本音を言わなかったりもします。

潜在的な感情、深層心理でどういう感情を抱いているのか気づくことで、症状がよくなったり、病気がやめれたり、選択するものが変わったり、問題が解決していく道に進んだりもします。

一つひとつの発している言葉には、実に深い意味があるのだと感じる毎日です。

なぜ雨女なのか

なぜ雨女なのか

大きなイベントや旅行などに限って雨がよく降りました。

いわゆる雨女。

いつもというわけではないのですが、意識し始めた時に特に多かったのは、親と一緒に出かける時でした。

普通でしたら、お祓いなどするのでしょうか。

あまり気にしたことがなかったので、お祓いなどはしなかったのですが、単純に外へ出かける時だったので少し寂しいなと思っていました。

精神分析を学び、どうして雨女になってしまったのか、だいぶ理由がわかりました。

まずは、雨からどんなイメージを持つのか。雨と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?

泣いてる。
冷たい。
寂しさ。
水に流す。

そんなイメージでしょうか。その他には、

雨に打たれたい。
不都合を味わいたい。
冷ます。
青色のイメージから清浄化。

いろいろと雨からイメージできるのではないでしょうか。

私はいて座で、エレメントでは火の人です。だから単純な感覚では、雨によって自分の火を消している、力を落としているのだとわかりました。火のように力よく燃えているよりも、鎮火させ静かにしていたほうが周りからは喜ばれることを感じとっていたのだと思います。特に親の前では静かにいい子にしていたほうが気に入られる。雨のイメージから泣いている自分にも気づけました。

小2の時に父親を亡くし、通夜か葬儀の時に雨が降っていました。ずっと忘れないようにという思いもあるのかもしれません。悲しみの雨だったのかもしれません。

私にとって雨は必要なものだったのです。

内海式精神構造分析で、雨女の意味までわかるとはびっくりでしたが、その理由がなんとなく腑に落ちて、以前のような特別な日に雨が降ることも減ってきました。

お祓いをしなくても自分自身の気づきで、雨女も改善できるかもしれませんね。

内海式構造精神分析法