私が精神分析者として活動している理由

私が精神分析者として活動している理由

私が精神分析者として活動しているのは、

「この日本を立て直したい。」

そういう目標を持っているからです。

内海式精神構造分析法は、自己に向き合う作業です。現実を見て、過去問題を見て、トラウマを見て、闇に向き合う。そういう作業をするのが内海式精神分析です。

ですから、単純に症状を治してほしい、うつや不眠など不快な症状を施術でどうにかしてほしい、家族問題人間関係の問題を聞いてほしいなどの目的で整体くららを利用するのは適していません。

あなたが能動的にすべてに向き合うことが大事なのです。

そして、日本の国民が現実直視し、日本の闇に向き合い、己こそがこの地球を汚している、自分自身のからだもこころも汚していると自覚できた時に、この日本も、あなたのからだと精神も、良くなっていきます。現実に向き合い、今までの生き方考え方を変えない限りは同じことの繰り返しなのです。

人は親を反面教師にしても必ず親と同じことをしてしまう

人は親を反面教師にしても必ず親と同じことをしてしまう

親のここが嫌だった。

という人はかなりいるのではないでしょうか。そして、それを反面教師とし、そうはならないよう子育てをするのではないでしょうか。

今まで精神分析をしてきて思ったことは、親を反面教師になどできない。必ず親と同じように子どもを育て、教育していきます。違う形で同じことをしていたりもします。

あなたが幼少時に寂しい時間を過ごしていたのなら、あなたが親になった時、子どものそばにいたとしても、やはり寂しい思いをさせています。

あなたが虐待を受けたとして、我が子に手をあげないとしても、なにかしらの虐待をしていたりもします。無視も虐待であり、子どもが不都合を感じているのも虐待であり、真の意味で子どもに向き合っていないことも虐待なのです。

親と同じことをしているという「自覚」を持つことが大事であり、意識することでしか対策はありません。これが人の心のシステムであり、呪縛でもあるからです。誰一人として逃れられないシステム。

子どもを本当の意味で子どもらしく、個性を消さないよう育てていくには、自分自身が常に「毒親」という認識、自覚を持つこと。子どもと地球を汚したり、苦しめているのが、大人たちであることを自覚することです。その自覚ができた時に、この日本という国の若者の死因一位が「自殺」という悲しい状態はなくなっていきます。

うつを治す時にやってはいけないこと

うつを治す時にやってはいけないこと

それは、

「理解してほしい」というものです。

あなたは、誰かを理解できているでしょうか。自分の病気や感情やつらい思いを理解して欲しいと望みますが、自分自身は他者を理解できているでしょうか。

私はできていませんでした。

理解を求めているのに、自分以外の人間に対しては理解などしていなかったのです。自分自身のことで精一杯でした。

今までの人生や状況やつらかった症状を人に「理解してほしい」と思ってしまうのは誰でもあります。しかし、それが強くなってしまうと病気は治ってはいきません。理解を求めている時点で精神は弱っている状態であり、被害者意識が強い状態です。それではうつに限らず病気もあらゆる問題も解決されません。

その状態は「自分自身」が作り出したものだからです。あなたの生き方考え方で作られた「現実」です。

「は?」

そう思われる方が多いと思います。

私も弱い立場の方には、同情や愛や慰めなどが必要だと思っていました。理解が必要だと思っていました。でも、それはとても「毒」であって、自立していく上では邪魔になります。薬に依存している状態なら尚更です。

そして、私がうつを治していく道のりで、「理解」してもらったことは何一つありませんでした。自分自身ですべてを理解し、選択し、選択した事柄に責任を取る。そうすることができた人が向精神薬を手放し、精神医療から抜け出せた人たちです。そのようにして私のうつは治ったのだと確信しています。

内海聡医師のFacebookから引用

キチ○イ医が申すに最も人を精神的に病気たらしめる思想の一つは、「人に理解してほしい」という願望であるといえる。またまた、と仰るなかれ。これは患者と呼ばれる人々を観察する限り最も多い傾向なのである。世界中どこの医療機関、医療施設であってもそれを満たそうとし、家族はそれを医療者たちに任せようとし、患者はそれを執拗に人々に求める。この永遠に得られない解を求めようとするがゆえに、人々は精神的苦痛を深めていく。はっきりいってこんなものは医療機関であったり、人が人に与える代物ではない。誰かが誰かを理解するなどということはあり得ない。要するに医療化思想の権化であり、後の権化であるがゆえに喰われる。子供は何かあった時必ず親に聞いてほしいと思い発言する。人に理解してほしいと願う人間ほどに、人を理解しようと試みることはない。単純に言ってこの願望は幼児期に伴うものであって、真にいい意味での大人になっていない証拠である。精神年齢というのは死語に近いがそれが低いということである。そして理解してほしいと考える人々は、事実ではなく自己の都合を元に理解を深めさせようとする。それは人をコントロールしようという統制概念が、根底にあるからに他ならない。逆に言えば、幼少期にその願望が達せられていないから、大人になってその願望が強くなるとも言える。ただこれはすべて真なりではない。常に達せられてきたから、いつも達せられないと不満であるという成長の仕方も存在する。本当に子育てというのは難しいものである。あなたが自分の心を強くしたいと願うなら、人に理解されたいという願望を強くうち消そうとすることである。それは主張するなということではない。理解しあえる人は多くの説明がなくても理解できるのである。私は私を理解した人を今までの中で一人も知らない。それを無理に求めようとも思わないし、私の主張を相手が理解するかどうかは、その人が事実に忠実であるかどうかで決まるとしか思っていない。やや宗教的だが執着や煩悩を生むということであろうか。

感情を隠していることにさえ気づいていない

感情を隠していることにさえ気づいていない

うつ病と診断される前に、あらゆる症状が出ました。

微熱、心臓の痛み、動機、頭痛、胃痛、関節痛、喉の痛み、喉の違和感、子宮のあたりの痛み、子宮からの出血、耳鳴り、耳の痛み、風邪を年に何回もひく、慢性疲労、食欲不振、花粉症、ほてり、睡眠障害、無気力など。

微熱と心臓の痛みが特に特徴的で、長期的に続いた症状なので今でもよく覚えています。

心臓は東洋医学では喜びの臓器です。そして、恋愛の臓器でもあります。嫉妬という感情も隠れていたりもします。

当時は全くそういう感情が隠れているとは気づいていませんでした。しかし、今なら確実にこれだというのは「嫉妬心」です。夫は母と娘を優先的に大事にしていたと思います。そして、そうしてあげて欲しいと望んだのも、実際にそう声をかけたのも自分自身です。そう言いながらも「嫉妬」していたのです。私に視線が向かなかったことに対して寂しい思いもありました。

嫉妬心。

当時は気づくことができませんでした。ただただわからず苦しい状態でした。そして、心臓が痛み、からだからの声をもらったのだと思います。その声を無視して、心臓が痛いという症状をなんとかしようと専門医にいき、原因がわからず、結果、心療内科にいってしまいました。からだは教えてくれていたのに。

症状はあなたの深層心理、奥底に隠れている感情です。封じている感情です。その感情を出してはいけないとブロックをかけている状態です。

その封じている感情を、ブロックしている感情を出してあげることができるのは、あなた自身です。誰にも何もできないのです。

その感情に気づいてあげてください。心の奥底に押し込めている感情を出してあげてください。せめてそれだけでもしてあげてください。感情もすべて封じていてもいいことはないのだから。