人間であり、生物であり、動物なのだから、心臓が動いている限り生きていくしかない

人間であり、生物であり、動物なのだから、心臓が動いている限り生きていくしかない

現代では社会は複雑になり、誰でも必ずつらい経験を生きていく中でしていると思います。私も家族との突然の別れがあったり、その他にもよい想い出よりもつらい経験のほうが先に思い浮かびます。生きていることにさえ罪悪感を持ってしまうこともあります。そして、全体的にも病気は増え、疾患も増え、子どもたちの精神疾患も増え、精神薬の投薬も増え、子どもたちの自殺も増えているので、私のような経験はもう珍しくもなんともない時代となりました。

弱者になり自らそのレッテルを貼ってしまうと、生きる力は必ず落ちてしまいます。私も自らうつ病になることをしてきてしまいました。10年間、治してもいない薬を飲んでいたとはそういうことです。肉体的にも精神的にも廃人のようでした。なんの不思議もなく疑いもなく、いつか治してくれると信じて、向精神薬を服用していました。心療内科に受診していました。

弱さを認めることができた時、愚かな行動を取ってきてしまったと自覚できた時、生きる強さは自ずと生まれてくるものだと私は思います。実際、今、私は生きていますし、いくらつらい経験があったり弱さがあったとしても、生きていくしかないと思っています。与えられた命だと思って全うしようと、生きる強さを得ようと努力しています。結局は命に関しては誰も助けてはくれないのです。自分自身で命を保ち、生きる力を持たなければ、この時代を、病んでいる世界を生きてはいけない。

悲しみやつらさや様々なエピソードがあったとしても、あなたが今よりも強く生きられますよう願っています。

精神病に限らず、病気でもあらゆる問題でも考えてほしいアダルトチルドレン像

精神病に限らず、病気でもあらゆる問題でも考えてほしいアダルトチルドレン像

アダルトチルドレンとは、以前は「アル中の親のもとで育ち、大人になった人たち」と限定的な解釈でしたが、今では「機能不全家族のもとで育ち、大人になった人たち」と解釈されます。私は人類すべてがこの「機能不全家族」のもとで育っていると思います。どの家庭、家族にも、多かれ少なかれ歪さを感じるからです。

そして、なぜ、自分自身のアダルトチルドレン像を考えるべきか。それは、子どもたちが育った家庭環境により幼少期から自分自身を封じ、別の姿を演じてきているからです。そのアダルトチルドレンの姿のまま大人になっているからです。大人になっても本当の自分を表現できず、出さず、自分自身を偽り続けています。

では、どんなアダルトチルドレン像が存在するのでしょうか。

【ヒーロー】
一芸に秀でて、頑張りすぎてしまう子どもです。さらなる活躍を期待して周囲が熱中し、子ども自身も一層頑張ることになり、ますます一芸に秀でることになります。たとえば、漫画『巨人の星』でいう星飛雄馬のような子どもでしょうか。しかし、本心では、そこまでして頑張りたいとは思っていません。

【スケープゴート】
ヒーローの裏側に当たるのがこのタイプの子どもです。一家の負を全部背負い、「この子さえいなければすべてうまく収まる」という幻想を、家族全員に抱かせることで家族の真の崩壊を防いでいます。無意識のうちに家族の批判を集めるように行動する癖があり、あらゆるアダルトチルドレンのパターンがスケープゴートだという言い方もできます。

【ロストワン】
いつも静かに振る舞い、「いない子」としての役割をする子どもです。いなくなっても家族の誰も気づかない存在となります。また、家族内の人間関係を離れ、自分が傷つくことを逃れようとする特徴があります。大人になると、いないこと、自分が孤独であること、人に感情移入しないことが普通であり、必然であると主張するようになります。

【プラケーター】
慰め役の子どもです。慰める相手は大半が母親であり、父母の仲が悪く男尊女卑の家系が多く、父が母を責めている風景を覚えていたり、記憶に封じていたりする傾向があります。そして、いつも暗い顔をしてため息をついている母親を慰めます(当然、父母が逆転することもあります)。優しく感受性が豊かなことが多いのですが、本当は自分が慰められたり、親に褒められたりしたいと思っています。

【ピエロ】
道化役の子どもです。親たちの争いが始まり、家族間に緊張感が走り始めると突然、頓珍漢な質問をし始めたり、踊ったり、歌ったりし始める特徴があります。子どもなりの優しさゆえから場を慰めようとしますが、親が毒親のレベルだとその行動の意味を解釈できず、「頭が悪い子」など、ペット的な扱いを受けてしまいます。心の中はさみしさに溢れており、「いつも家族が仲良くなってほしい」と願ってい
ます。

【イネイブラー】
支え役・世話役の子どもです。「自分ではない」という意味で、家族間の他人の世話を焼いてクルクル動き回る傾向にあります。母親に代わって幼い弟や妹の面倒を見たり、父親代わりをしたりします。父母が不和のため子どもの世話がしっかりできず、「自分が代わりにやらなければならない」という感覚を身につけた結果と言えるでしょう。なかには、依存的な親との間に情緒的な近親相姦が生まれる場合もあります。

【リトルナース】
血縁関係以外の他人に対しても、自分のことのように一生懸命解決しようとする子どもです。しかし、これは真の意味で他人の解決をしたいと願っているわけではなく、自分自身もそれに気づいていないことが多いため、問題の解決に至らず、共依存関係に陥る傾向にあります。その理由は、幼少期に満たされなかった承認欲求や、褒めてもらいたいという欲求を無意識的に引きずっていることが多いためです。

【ロンリー】
自分の殻に閉じこもり、他者を全く寄せつけないようなタイプの子どもです。ロストワンに似ていますが、ロンリーは実際に一人でいる時間が圧倒的に長いのが特徴です。周囲から自分の姿を消して、何重にも心の仮面を被り、周りからは非常に面倒くさい人間だと思われています。

【プリンス】
周囲の期待に応えようとして自分を見失い、八方美人で流されやすい子どもです。ヒーローに若干近いのですが、ヒーローは実世界でもそれなりに活躍するのに対して、プリンスは陰で期待に応えようとするため、裏方だったり頼まれたら断れなかったりすることが多いのが特徴と言えます。

これらの役割は、単一の形で出ることはまれです。典型的なアダルトチルドレンであっても、たとえばイネイブラーの要素とプラケーターの要素が混ざっていることが多く、大半はスケープゴートの要素を合わせ持っている、と言えなくもありません。

引用元 コロナワクチン 今こそ子どもを守れ!/内海聡(著)

私もこのアダルトチルドレン理論を見た時に、どれにあてはまるか考えてみました。ほぼすべてのアダルトチルドレンにあてはまりました。いろんな姿を演じてきてしまいました。そして、それにはまったく気づいていませんでした。自分自身の本当の姿や気持ちを表現できていなかったのです。それはとてもつらいことだと思います。持って生まれた性格、性質を出せていなかったのですから。

そうすると何が起きると思いますか。

人に合わせる人間像になってしまうので、こころもからだも疲弊してきます。整体くららに相談に来られた方はすべてそういう方でした。みなさん、別の姿を演じているために、疲弊しきっていました。それがマックスになり、いっぱいいっぱいな状態になり、なにかしらの症状が出てきてしまいます。

このような状態は、こころの奥(深層心理)のあなたの声なので、その声に耳を傾けるべきです。それを封じてしまうから、気づかないふりをするから、状態はややこしくなってしまいます。薬を飲めばそれは抑え込んでいるだけなのですから、余計にややこしくなります。

問題を複雑にしないためにも、根本的なところに目を向けるためにも、このアダルトチルドレン像をまずは考えてみることをおすすめします。アダルトチルドレンに限らずですがいろいろと考え始めた時、それは自己に向き合う作業となりますので、それができた時には問題解決のために前進していくのだと思います。

チョコレートから連想できるもの(言語療法、メタファー)

チョコレートから連想できるもの(言語療法、メタファー)

目の前でおきていることは必然であり、自分自身が見たい世界です。そして、欲してしまうものや趣味などもたまたまではなく、内海式精神構造分析では必然であり、意味が必ずあるととらえます。

チョコレートなど甘いものを欲している、もしくは、よく食べている時の心理状態はどういう状態か。

チョコレートからあなたは何を連想しますか。

甘い
濃い(恋)
硬い
柔らかい
ブラック(黒い)
苦い
海外
暖かい
ハート(心)
赤い
2月14日
ハッピー
バレンタイン

いろいろな表現が出てくると思います。一般的には「甘い」という連想が一番に出てくると思います。

「甘え」というものが自分自身に足りていないために「甘さ」を求めていると解釈するのが、内海式精神構造分析法です。

わかりやすい例えですと、子どもたちが甘いお菓子を欲している光景をよく見かけると思います。その時に考えるべきことは、子どもが十分親に甘えることができていないということを考えなければいけません。甘えることが満たされていないために、別の甘みを欲してしまうのです。チョコレートでなくても、食べ物ではなくても、人や異性などもありえます。

こういうところから紐解いて心理分析していくと、言葉では表現されていない部分が見えてきますので、何かしらの症状や問題があるのなら、その原因がどこにあるのか理解が深まると思います。食べ物だけではなく、趣味などあらゆる事柄に意味があるので、裏に何が隠れているのか考えることをおすすめします。

罪悪感は相変わらず持ち続けてはいるけれど・・・

罪悪感は相変わらず持ち続けてはいるけれど・・・

一年前にメタトロンを受けた時の記事。

私とトラウマ2

罪悪感を持っていたことが顕著にメタトロンでわかりました。父親、父方に対する罪悪感。

父親が早くに亡くなったことに対する、生きている罪悪感にも気づくことも自覚することもできました。生きづらさの理解が深まりました。そして、もっと根深いものもあるのだと思います。

うつになった時も、突然の悲しみも涙も、いろいろな理由がずっとわかりませんでした。今、わかって、自覚して、何が変わったのか。

相変わらず「罪悪感」は手放せていないと思います。それは、自分自身で手放してはいけないと判断したんだと思います。それでいいんだと、少しくらい「重荷」を背負って生きていたほうがいい。そう思っています。それほど不幸せでもないし。

罪悪感は持ち続けてはいるけれど、自由にはなった。わからないものからの自由。人に合わせてしまうばかりの人生だった、その状態からの自由。自分自身が何者なのか。闇の中を歩いていた状態からの自由。向精神薬や病気でこころもからだも痛めつけていた状態からの自由。他にもあげたらたくさん出てきます。

私の人生はとても不自由だった。

その状態から脱出できただけで、それだけでいいかなと思えます。

残りの人生は自由に自分自身を自分で大事にしてあげたい。そう思えるようになりました。それさえもできていなかったから、メタトロンも精神分析も受けて、自分自身の闇や悩みや何者かというような、いろいろなものに対する解釈が進んでよかったと思います。これらは自分自身で前に進まない限り何ひとつ得られないものです。人は生きていくためには誰かに助けられるのではなく、自ら自分自身を助け、なんとかしていくしかないのです。生きていくとはそういうことです。