宗教にとどまる理由

宗教にとどまる理由

以前、長年エホバの証人として活動されていた年配のかたに、「エホバの証人として長い間、信仰を保つことは困難だったと思います。大変でしたね。」と伝えたところ、「今さら、他のどこに行き場所があるの?ここにいることが、一番いいだけなんですよ。」と返事が返ってきました。熱い信仰心を持って返答されると思いましたので少し驚きましたが、人間味があり、裏心の無い言葉を聞けてよかったと思います。それから、彼女はしばらく経ってから亡くなりました。

宗教を始めることにも理由はありますが、組織に留まっている理由も必ずあります。

行き場がないのかもしれません。
死ぬのが怖いかたもいました。
楽園では病気も無く、老いも無く、永遠に生きられます。
亡くなった家族に会いたいと、懸命にエホバの組織に留まっておられるかたもいます。
何か強い後悔が理由かもしれません。
今度こそは、家族、家庭を大事にしようと、楽園の生活を待ち望むかたもいます。

宗教を続けることには様々な理由があるので、誰がどうこうしても無理です。病気を治すのと同じです。病者が治りたいと能動的に生き方や考え方を変えない限り、何も変化は起きません。

ですから、他者を変えるよりも自分から変わっていくことをすすめています。宗教の問題も人間関係の問題も病気の問題も、自分がどれだけ変わることができるかが鍵となります。

カルト宗教はあらゆる形態で潜んでいる

カルト宗教はあらゆる形態で潜んでいる

現代の宗教の勧誘は、宗教色を出さずに信者集めをすることが多いように見受けられます。自己啓発セミナーやヨガ教室、ハンドパワーなど一般の方が興味を持つ療法を使って勧誘、壺など高価な物を売る霊感商法など、初めは宗教だと気づかずに宗教にハマっていく方は多いのかもしれません。

もし、参加した本人や家族のその組織が、危険のない組織なのか、カルト宗教なのか、検討してみることは重要です。では、どんな基準で検討したらいいのでしょうか。

① 伝道に際し、宗教団体の伝道であることを隠すなどウソがある。
② 信者らに高額のお金を要求する。
③ 信者らに、宗教団体の代表に対する、絶対的帰依と従属を要求する。
④ 人類が滅亡する、輪廻転生ができないなど、構成員に恐怖感を執拗にあおる傾向が強く認められる。
⑤ 信者らが共同生活をしている。
⑥ 関連会社をもち、信者らにただ働きをさせている。
⑦ 家族からのクレームに関し誠実に対応しない。あるいは平気でウソをつく。

引用元:Q&A宗教トラブル110番

活動実態がなかなかつかめない団体もありますので、少しでも情報収集し、金銭トラブルの被害に合わないよう、調査されることをおすすめいたします。

無料相談窓口もご活用ください。
■弁護士ドットコム
https://www.bengo4.com

■独立行政法人国民生活センター 
https://www.kokusen.go.jp/index.html

■消費者庁(無料)
消費者ホットライン
https://www.caa.go.jp/policies/policy/local_cooperation/local_consumer_administration/hotline/

カルトの定義

カルトの定義

私が所属していた、特に自ら選択して取り組んでいたエホバの証人という組織が、「カルト」なのかといわれると、私自身の解釈では、カルトと捉えることもできますし、そうでないともいえます。私から見た狭い景色からの解釈と、私以外の外側から見た景色では、答えは違うと思います。

では、カルトの定義とは何でしょうか。

カルトの定義
[カルト]ラテン語のcultus由来し、もともとは神々や英雄への「崇拝」を意味した。それが転じて熱狂的崇拝あるいはそれを行なう小集団をさすようになったのは、主として一九六〇年代以後である。…
ある集団をカルトと呼ぶ基準は、その集団の教義や儀礼が〈奇異〉に見えるかどうかであってはならない。あくまでその集団が、個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしているかどうかであるべきである。
引用元:カルトからの脱会と回復のための手引き《改訂版》

カルトの害悪
信教や思想信条の自由を侵害する
カルトの価値観から抜け出せなくなり、自律的な意思決定ができなくなる
構成員や一般の人々に対して献金等の名目で経済的収奪を行う
構成員に対して暴力や性的虐待を行う
病気が治るなどと称して生命や身体を害する
集団自殺や犯罪行為に及ぶ
カルト集団のために奉仕を強制される
児童の虐待やネグレクト、家族関係の断絶
引用元:消費者法ニュース 「カルト」とは何か

私たち夫婦は自らエホバの証人という宗教を選択して、信者になりました。ですから、自由が侵害されたことはないといえます。カルトの定義や害悪と自分自身の目にしてきたものを比べると、カルトではないといえますが、子どもの視点から見るとカルトになると思います。宗教二世三世の子どもたちにとっては、自由も奪われ、親の勝手な信仰心を押し付けられて、人権侵害ともいえます。社会的に何か悪いことはしていないとしても、子どもたちの選択を奪ってしまうのなら、カルトといわれても仕方ないといえます。人の見る視点で宗教組織は、カルトなのかカルトではないのか変わってくるのです。

カルトというと、事件を起こすような宗教がカルト宗教として扱われますが、決してそうではないということも認識する必要があります。

自分自身を善にしたいという願望のために、カルトと認めたくないという精神的ブロック生じますが、では、家族、伴侶、子どもたちが苦しんでいないのかという視点を持つと、思考の変化が生まれてきます。相手が苦しんでいるのなら、苦しめているのはやはり自分自身だという視点で物事を考えていただけたらと思います。

宗教人生から抜け出すことができたのはなぜか

宗教人生から抜け出すことができたのはなぜか

創価学会員の家に生まれ、21歳からエホバの証人だった、宗教どっぷり人生46年間。

なんとなく始まってしまった宗教から離れることができた一番の理由は、自分自身がそれを望んでいたということを自覚することができたからです。

創価学会二世。そして、エホバの証人も初めは義母だけ信者でしたが、ほぼ二世の子どもと結婚した状態なので、私も立場的には二世のような感覚でした。

では、どうして宗教を望んでいたのか。

自分自身のトラウマ(性被害者)のため、エホバの証人の教えをお守りのようにしていたと思います。エホバの証人は結婚するまでは性関係を持ってはいけなかったので、その教えで子どもを被害から守っていたといえるのです。しかし、裏を返せば、決まりごとで拘束していました。守っているようで傷つけている状態でした。まさにすべては表裏一体。恋愛をすることも教理が邪魔をしていたと思います。

その他にも都合がいいことは幾つかありました。

教えがあることで自分自身が何も考えなくていいという奴隷思考。面倒な社会の関わりや人間関係も、宗教を理由に断ることができました。集会や奉仕活動が毎日のようにあったので、家族が一緒にいることができました。

都合がよくて宗教を自ら選択していたのです。

誰かのせいにしてしまうと考え方や生き方は変化しません。自分の人生なので、最後は自分自身でいろいろと選択してきたと思います。断ろうと思えばいつでも断ることも、宗教をやめることもできた。でも、そうする勇気が持てなかったのです。

もう宗教をやめようと強く思えたのは、子どもの家出がきっかけでした。強い覚悟ととてもつらい思いを持っての家出だったと思います。どこまでも子どもを苦しめてしまった。

子どもが家出をしてから数年後、子どもに謝り、夫婦でエホバの証人を脱退しました。

私たち夫婦に問題があったことを自覚したから、周りではなく、内側に問題があると認識して向き合ったから、宗教の問題や家族の問題が解決していったと思います。

人は被害者意識が強く、被害者のほうが楽なので、自分自身に問題があるという視点は持ちづらいと思いますが、宗教をやめたいと思った時は、周りの問題よりも、自分自身に向き合って欲しいと思います。宗教をやめさせたいというのも同じく。それができた時、人は誰かのせいにすることはしなくなるので、必然と強さが得られ、生き方も変化していきます。