宗教から逃れられない理由

宗教から逃れられない理由

創価学会の家庭に生まれ、嫁ぎ先はエホバの証人。宗教はもううんざりと思っていましたが、エホバの証人から脱退して4年、今では宗教に関する悩み相談も受付けています。整体くららは整体がメインで始まりましたが、今はほぼ相談対応がメインです。

ではどうして宗教から離れることができないのか。

そう考えたとき、自分には重い荷を常に背負わせておかないといけないという考えが浮かんできました。

日本は修行の国といわれていますので、そういう思想からくるのかもしれません。または、父親や先祖からくる「罪」を引き受けているのかもしれません。ただ単純に何もない人生がつまらないと思い、荷を課しているのかもしれません。生命力の弱さからきているのではないかとも思えます。

今では、宗教に関する歴史を調べることが楽しさの一つになっていますが、どこか呪縛のような感じでもあります。いい面もあれば裏の面もある。

あなたがもし、今の宗教を重荷に感じ、でも、そこから逃れることができないのなら、その理由は必ずあります。嫌だと思っていた宗教を何十年も、私もやってきてしまいました。脱退はして今はどこの宗教組織にも所属していませんが、宗教に関する悩み相談を受付けています。

特に宗教二世、三世のかたの持っている生きづらさ、親への対応の相談、自分がどうしたいのかわからないなど、様々な悩みがありましたら、ご相談を受付けておりますので、メールでご連絡くださればと思います。

自己啓発と宗教

自己啓発と宗教

人は誰でも、自分自身を今よりももっと向上させたい、能力や思考を高めたいと思いますが、エホバの証人の時は自己啓発的なものをあまりよく思われていませんでした。むしろ避けたほうがいいということでした。

その理由は、私たち人間は神のしもべであり、奴隷であり、罪深い人間だからです。そして、神の教えのみで成長することが一番、神を喜ばす行動でした。自己啓発は世の教えも入ってきますので、このような理由からNGでした。

しかし、これではほぼ「洗脳」です。外部からの教えと比べたり精査することもなくなりますので、神の教え、聖書だけが完全な教えということになってしまいます。

人は良い悪いを自分自身で考察し、選択していかなくてはいけません。それが無い状態になりますので、外部からの情報で向上できないのであれば、それはとても危険といえます。考えることをやめなさいと言っているようなものです。

こういうことにも気づけなかったことに後悔をしていますが、都合が悪くなるから気づきたくなかったのでしょう。嘘の家庭の平和のために。波風を立てないために。

人間は、人生の中でいろいろなことを経験し、時には傷を負って学んでいくのだと思います。そのためにも自己啓発というワードで学んでいくことは、私は良いことだと思います。

しかし、現代の宗教勧誘の窓口が、自己啓発セミナーになっていますので、注意は必要です。しっかりと組織やグループの理念を知ることや、金銭的なトラブルが過去になかったか、宗教が関係していないかなど、参加される自己啓発セミナーの情報収集をしていただきたいと思います。

布教活動を偽装する現代の宗教組織

布教活動を偽装する現代の宗教組織

以前もブログ記事として書きましたが、現代の宗教は、布教活動、伝道活動において、宗教色を出さずに偽装して活動する組織が多いです。ですから、高校生や大学生という若者がターゲットになっています。

カルト宗教はあらゆる形態で潜んでいる

宗教の勧誘に大学生が狙われる理由

エホバの証人は明確に宗教組織ということを名乗って伝道活動していましたので、ある意味、いさぎよいといえます。

いさぎがよいですが、やはり不安や恐怖を煽って勧誘していたと思います。ハルマゲドンがもうすぐくる、エホバに信仰を抱いていないと滅ぼされる、今後、大地震や社会情勢が悪くなるなど、聖書を読んでいても恐怖心のため、エホバの証人の組織から出ることに躊躇されるかたもおられます。どうせこの世で死ぬのなら、このまま組織にとどまって死んだほうがまだいいと思うのです。

恐れや不安で宗教を行っているのなら、宗教の本質から逸脱しているようにも思えます。宗教とは、人生を豊かにするもの、生き方や考え方を見直すためのものではないでしょうか。自分自身や家族や次世代、七世代先の子孫の繁栄や幸せのために行うものだと思います。

人それぞれ宗教の概念があると思いますが、恐怖心や不安を煽らず、人をだますような偽装した活動にならない宗教でしたら、私はむしろ宗教は存在価値があると思っています。

今、仏教に関する書籍をいろいろと読んでいますが、結構、面白いですし、知らなかった歴史や背景から宗教を学ぶことは、自分自身の生き方や考え方を見つめ直す時間にもなっています。

キリスト教と仏教では、放蕩息子のたとえ話がどちらも出てきますが、親の対応がそれぞれ違うということも最近知りました。
教養としての仏教入門 身近な17キーワードから学ぶ (幻冬舎新書)/中村 圭志

宗教はもううんざりと思っていましたが、楽しい一面にも気づけてよかったです。

宗教にとどまる理由

宗教にとどまる理由

以前、長年エホバの証人として活動されていた年配のかたに、「エホバの証人として長い間、信仰を保つことは困難だったと思います。大変でしたね。」と伝えたところ、「今さら、他のどこに行き場所があるの?ここにいることが、一番いいだけなんですよ。」と返事が返ってきました。熱い信仰心を持って返答されると思いましたので少し驚きましたが、人間味があり、裏心の無い言葉を聞けてよかったと思います。それから、彼女はしばらく経ってから亡くなりました。

宗教を始めることにも理由はありますが、組織に留まっている理由も必ずあります。

行き場がないのかもしれません。
死ぬのが怖いかたもいました。
楽園では病気も無く、老いも無く、永遠に生きられます。
亡くなった家族に会いたいと、懸命にエホバの組織に留まっておられるかたもいます。
何か強い後悔が理由かもしれません。
今度こそは、家族、家庭を大事にしようと、楽園の生活を待ち望むかたもいます。

宗教を続けることには様々な理由があるので、誰がどうこうしても無理です。病気を治すのと同じです。病者が治りたいと能動的に生き方や考え方を変えない限り、何も変化は起きません。

ですから、他者を変えるよりも自分から変わっていくことをすすめています。宗教の問題も人間関係の問題も病気の問題も、自分がどれだけ変わることができるかが鍵となります。