エホバの証人とがん患者

エホバの証人とがん患者

エホバの証人の組織にいた時は、病気の方は多かったように思えます。うつ病をはじめ、精神の不安定さ、発達障害、自律神経失調症、皮膚病、婦人科系疾患、難病、そして、がん。

女性特有の病気である、乳がんは何人かいましたので、身近な会衆で目立つのなら、全体ではもっと沢山いたと思います。

では、どうして乳がんが多いのかと考えた時に、聖書の教理が関係してくると思います。

私が学んだエホバの証人が用いる「新世界訳聖書」では、性に関する教えは厳しかったように思えます。(他の聖書や宗派とは比べたことがないので、同じなのか独自の解釈なのかはわかりません。)

そして、その性の教えが厳しかったので、私はこの宗教を求めてしまったと思います。このエホバの証人の組織に居ることは、どこかで安心感を持っていました。誰も性的なことで傷つける人はいないと安心していました。

性に関する教えはどのように厳しかったのか。例えば、結婚関係以外の不義の性関係である淫行は、聖書では禁じられ、将来訪れる「楽園」に入ることはできませんでした。その将来の命が関わるゆえに、多くの信者は「性は悪」ととらえたのかもしれません。私もそういう感覚は持っていました。

「ある人がユダにこう告げた。「あなたの息子の妻タマルは娼婦のようなことをして,しかも妊娠しています」。ユダは言った。「彼女を連れ出して,焼いてしまいなさい」(創 38:24)」
「神は,皆さんが聖なる者となり、性的不道徳を避けることを望んでいます。(テサロニケ第一 4:3)」
「淫行から逃げ去りなさい。…淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです(―コリント第一 6:18)」

そうすると何が起きるかというと、自分自身に出てくる、性に対する欲求を「悪」としてしまうのです。私の考えとしては、幼少から聖書を学んでいる宗教二世三世の若者は、性的な欲求を「悪」としているのだと思います。ですから性に関する「がん」ができてしまうのだと推察できます。そのがんには必ず隠れている精神性があるからです。奥に隠れている、隠しておきたい感情が隠れています。

宗教は教えが絶対なので、どうしても自分自身が「悪」になってしまいます。素直な子どもなら尚更です。純粋に教えを受け取ってしまいます。

ですから、宗教は時として人を支配もできますし、人格形成もされてしまい、本当の自分が「何者」なのかわからなくなるのではないでしょうか。悪い言葉を使えば、ロボット生産のようなものです。聖書の教えをインプットされて、すべて同じ人のように見えていました。同じ言葉を使い、同じ表情を出し、すべての信者が仮面の姿でした。

そして、がん患者は何かを必ず封じて生きています。何かを溜め込んでいます。それが塊になってがんという形になっているのだと思います。

がんは、環境や食からくる社会毒が原因の一つでもありますが、精神も必ず関係していることを知って欲しいです。そして、宗教の教理がとても影響しているということも、もし、このブログに辿り着いた宗教二世三世の子どもたちに伝わればと思います。

「生きていてごめんなさい」って思う方へ

「生きていてごめんなさい」って思う方へ

生きている罪悪感を持たれている方は、結構おられるのではないでしょうか。私も時々そういう感情に押しつぶされてしまいます。

しかし、それがどこからそうなっているのか理解できただけで、心が楽になっている自分もいます。

一つの理由は父親の死です。小学2年生に亡くなっているので、その時、初めての人の死に直面しました。何が起きたのか理解できていませんでしたが、少しずつ日が経っていくにつれ、悲しみが強くなりました。「どこに行ったの?」ってよく泣きながら考えていました。

家系図を作っていく内海式精神分析をしてみると、理由は他にもあり、親族の不慮の事故や自殺も生きている罪悪感を持ってしまう理由の一つであり、そして他にも理由はいろいろとあるのだと思います。

宗教の教理からの影響も罪悪感を持つ原因でもあります。宗教の教えが「善」で、人間は不完全な生き物なので「悪」と捉え、その考え方を植え付けてしまいます。幼ければ幼いほど、強く影響されてしまいます。二元思考(二元論)による宗教脱会後の罪悪感と空虚感

見えていない理由は他にも必ずあり、いろいろな理由が複合的に重なり合い、生きている罪悪感の塊になったのだと思います。

この感情はどうにもならないのですが、どこからのものかわかるだけで、思い詰める時間も減ってきました。

人間はみな不完全であり、完全な「善」をおこなうことは不可能であり、何かしらの罪を背負っています。生きているだけでこの地球も汚していますし。

ですから、「生きていてごめんなさい」と思っていても、自分には生きている価値がないと感じていても、それでも生きていて欲しいなと思います。もう自ら苦しめず、自分の感情を優先して欲しい。生きる権利はすべての人にあり、人は本来、生きていくために生まれ出たのだから。

宗教二世が組織から離れることができない理由

宗教二世が組織から離れることができない理由

私はエホバの証人としては、宗教二世ではないのですが、21歳から46歳まで25年間エホバの証人として生きてきたので、組織から離れることは不安でもありました。夫が「もうエホバの証人をやめたい」といってくれて、その時はホッとした反面、いろいろなことがとても不安でした。

その不安の一つは、人間関係を最初から構築していくことでした。

エホバの証人の時は、組織以外の人は「世の人」として、深く関わらずに距離を取るのが教理でした。あらゆる世の影響を受けないために。ですから、友人がほとんど周りにいない状態でした。

エホバの証人の組織から離れ、すぐに整体塾が始まり、そこから人間関係を新たに構築していきました。もともと人が苦手だったことなどもあり、大人からの友だち作りは難しさを感じましたが、それでも宗教をやっていたことなど関係もなく、気にもされず、仲良くしていただきました。

宗教二世の方が、組織の教理などにうんざりして、離れたいと感じているのに、ずるずると組織に残っている方は多いと思います。その理由は、「居場所がない」「居場所作りの構築の大変さ」があげられます。あとは、親や家族を悲しませたくないから。その状態が呪縛のように感じるのなら、もっと深い理由はあると思います。

そして、若い子どもたちであればあるほど、親の悲しむ姿は見たくないと思い、なかなか宗教をやめたいと言い出せず、惰性で宗教を続けていると思います。

私のような50代に近い大人が、人間関係を構築していくことができたので、何かのコミュニティに参加したらすぐに友人はできると思います。居場所は作っていけます。

親が悲しむということも、乗り越えなければいけないのですが、私はその時に、「他者より自分を大切にしたい」という思いが強く持てるようになりました。もう十分、宗教を学んで一緒に活動もして喜んでもらえたと思うので、「もういい子ちゃんはやめよう」とそう思えるようになりました。私はその選択と決定を間違ってはいない、これでよかったと思っています。今、組織を脱会して、私も夫も子どもも自分らしく生きているから。誰かの人生を背負って、誰かの人生の道を生きることは、もううんざりです。

エホバの証人と政治と秩序

エホバの証人と政治と秩序

エホバの証人は政治には消極的であり、世の政治には一切関与してはいけませんでした。なぜなら、天の王国に政府があると教えられていたからです。

世の政治には消極的で、距離を取っていましたが、政治に関心がないわけでもなく、むしろ政治を求めていたのだと思います。

どうして自分自身がエホバの証人の家に嫁いだのか。そう考えた時、イエスが王となる神の王国政府には「秩序」があり、私は正しさの中で生きていける「秩序」を求めていたのかもしれません。「しかし,私たちが神の約束によって待ち望んでいる,新しい天と新しい地があります。そこには正しいことが行き渡ります。(ペテロ後 3:13)」

秩序があれば、性被害もなくなり、ケンカもなくなり、傷つけあうこともなくなります。そういう秩序正しい社会を求めていました。しかし、それは無理ということもよく理解できました。人は絶対に完全な人間にはなれないし、必ずどこかで何かを傷つけて生きているからです。

この世は陰陽の世界であり、喜びの裏側には悲しみがあり、平和があれば、裏側には争いがあります。そういう世界で平和で秩序正しい完全な社会ができることは、私は不可能だと思いました。このような答えも出せたので、エホバの証人から脱会しました。

それでも、少しでも秩序正しい社会になればと思い、現在、政治活動に参加しています。今の子どもたちとそのまた次の子どもたちと、七世代先の子どもたちが少しでも苦しむような社会にならないように、今、やれることを精一杯、行動していきたいです。

市民がつくる政治の会(私が参加活動している政治団体)