宗教で騙されカモられる理由

宗教で騙されカモられる理由

金銭トラブルなどがあり、裁判による判決や教祖が逮捕されたとしても、形を変えて信者はセミナーなどを開催して、同じように霊感商法を続けている宗教組織は存在しています。

宗教組織からいえば、お金になるから存在し続けるわけですが、では、被害者の立場から考えると、なぜ、今も被害者は存在するのでしょうか。多くのかたは被害にあって、報道もされているのに、怪しそうな団体に近寄るのでしょうか。

宗教組織に近づくときは、必ず悩みを持っているのではないでしょうか。現実問題に限らず、過去の家系の問題を引きずっておられるのではないでしょうか。自覚もできていない罪悪感が原因で、宗教など見えない力にすがってしまうのかもしれません。

みなさん、解決したい問題があるのだと思います。

宗教に属していても、何か物を買ったとしても、持っている問題は解決されないことのほうが多いと私は思います。実際、私も宗教に属していても、人生の中で抱えていた問題は解決されず、うつ病もよくもならず、むしろ悪化していくばかりでした。

物を勧められてお金の請求が高い場合は特に、霊感商法ではないかと疑うことが大事であり、家族が巻き込まれるような状況であれば、持っている悩みが何かを考えることもできます。悩みをいえないから、いいたくないから、見えない力にすがってしまうときもありますし、単純に家族を困らせたいから、あえて霊感商法や宗教に関与してしまうのかもしれません。かまって欲しくてそうしているのかもしれません。自覚できていない事柄が理由で人は人生の選択をしている場合もあります。

何かしら理由は必ずありますので、家族や知人など周りのかたは、その理由を探してみることはできると思います。当事者の原因だと決めつけるのではなく、自分自身がそうさせているという視点で考えると、また別の理由は見つかってきますので、自分視点で物事をとらえて考えることをおすすめします。

エホバの証人をやめた理由

エホバの証人をやめた理由

21歳に嫁ぎ先の家族がエホバの証人でしたので、すぐに聖書研究がはじまり、数年後にバプテスマを受けました。そして、エホバの証人となりました。その時も、その後も、エホバの証人をやめようとは一度も考えていませんでした。宗教はどこか面倒でつまらないと思っていたのに続けていました。

聖書を勉強して約20年後、子どもが家出をしました。宗教も、宗教の教理を押し付けてくる親にもうんざりして、家を出てしまったのです。突然いなくなってしまいました。

それから、どうしてこうなってしまったのか、よいと思っていた教理を教えていたのに、どうしてその教えのために、残念な結果になってしまったのかなど、今まで考えもしなかったことを考え始めました。そもそもの理由を考え始めました。

そもそも、宗教はあまり好きではなく、教えで生き方を拘束されるのも好きではなく、自由に生きていたいというのが私という人間でした。ルールがとても苦痛だったのです。その苦痛を子どもにも与えていたことにやっと気づきました。本当に気づくのが遅すぎました。

そういうところにも気づきたくなかったんだと思います。気づいてしまうと家庭内に波風が立ってしまうため、気づかないようにしていました。見たくない現実があり、都合のよい現実を自ら作り出していました。

子どもが家出をして、その理由を考えて、自分にとってエホバの証人の教えとは何なのかと考え、それでも、やめようという選択は持てませんでした。

「もうやめたい」

そういったのは、夫のほうでした。夫の家庭にそもそもエホバの証人の家族がいたのに、そのつながりを切ったのは夫でした。きっと夫がその答えを出さなかったら、私はズルズルとエホバの証人を続けていたと思います。そう考えるとそれも残念で仕方ありません。自分で答えを出す勇気を持てなかったからです。

子どもの家出と、その家出によるその後の夫の決断が、エホバの証人をやめるきっかけとなりました。

エホバの証人や、他の宗教に属していて、やめたいと思っているかたは沢山おられると思います。宗教二世、三世の子どもたちは、特にそう思っているのではないでしょうか。

でも、私のようにやめる勇気が持てないかたのほうが多いと思います。

どうか、自分自身の本当の気持ちを隠さずに、親でも家族でもなく、自分の気持ちや感情を一番大事にして欲しい。誰かをがっかりさせる結果になったとしても、自分の人生は、誰かの人生であってはいけないと思います。今生きている人生はあなたのものです。

宗教をやっていることで、どこかつらい思いをしていたり、苦しく感じているのなら、尚更、誰かの決定に従い生きるのではなく、自分で納得のいく選択をしていただけたらいいなと思います。

エホバの証人をやめるとき、義理の母(エホバの証人)とたたかうことができました。できないことはできない、NOという意思表示やその想いを、初めて自分の言葉で伝えました。震えながら言葉を伝え、反発しました。実母と義母が重なり、投影し、エホバの証人をやめることで義母をがっかりさせたり、嫌われることへの恐怖があったのだと思います。

真の意味で宗教をやめたい、深層心理により、エホバの証人をやめたいと思えたときには、組織から抜け出る道が目の前にあらわれるのだと実感しています。

色情因縁は私たちの人生に影響があるのか

色情因縁は私たちの人生に影響があるのか

色情因縁とは、簡単な説明ですと、先祖の男女関係の問題や水子などの問題が子孫に影響を及ぼして、悪いことばかり起きるということです。そのため、あなたには色情因縁があるといわれ、地獄で先祖が苦しみ、あなたの悪運もそのためだといい、宗教団体から献金を勧められたり、物を買わされたりします。いわゆる霊感商法です。

では、本当に先祖から霊的な悪影響はあるのでしょうか、霊界から先祖の苦しみが今の私たちに影響があるのでしょうか。

これは誰にもわからないことではないでしょうか。そもそも霊界や地獄があるのかもわからず、あの世があるのかさえわかりません。

しかし、私は色情因縁はないと思っています。

内海式精神構造分析では、家系図を作成し、もちろん、男女間の問題、水子関係の出来事も聴取していきます。必ずそれらの出来事には意味があり、子孫には影響が及ぶからです。しかし、先祖から直接的な影響ではなく、自分自身が同じ選択をしたり、不幸を選択したりという意味で影響があるという意味です。男女間のトラブルが多かった家系であれば、子どもたちも同じように真似てしまい、水子がいたら、それもまた同じようにしてしまいます。同じように傷ついたり、傷つけたり、人というのは結局は、親やそのまた過去の親族と同じようなことをしてしまいます。そのようにしなければいけないと思ってしまうのです。

人のこころのメカニズム、仕組みというのは、複雑なようで、でも、シンプルなんだと、内海式精神構造分析を学んでそう思いました。子どもの視点で考えていくことも重要なので、シンプルな考え方を持ったほうが、問題の根源にたどり着くのではないかと、個人的には思っています。

親が悲しんでいるのなら、助けてあげたい。同じようにして、傷ついたり悲しむ状況を作り出したい。そうやって親に認めてもらいたい。親や先祖の抱えてきたその重荷を背負いたいなど。

もし、生きづらさを感じていたり、人生になにも喜びを見いだせない、ずっとトラブルばかりなどがある場合は、色情因縁というよりは、フラクタル構図を常に作り出している可能性のほうが大きいと思いますので、先祖供養や献金やものを買ってお祓いするよりも、自分自身に向き合うことをおすすめします。

九穴の糞袋、人間一生糞袋

九穴の糞袋、人間一生糞袋

仏教には、「九穴の糞袋」という言葉と、「人間一生糞袋」という言葉があるそうです。どちらも結局人間は、食べて糞を作り出しての繰り返しであり、不浄物を生み出す自分自身に執着はやめなさいという教えだそうです。他にも捉え方はあるのかもしれません。

私の個人的な解釈では、人間はみな、自分自身が素晴らしい人間だと思うのが人であり、ですからプライドがあり、そのプライドをなかなか破壊できないのが人間だと思います。プライドがあるからこそ、自分の汚い部分をみようとしないし、裏心をみようとしない、闇をみない、己の醜さに向き合おうとはしません。そんな糞のような部分をみることができたとき、自分が糞だったと認めたときは、様々な抱えている問題は問題ではなくなるのではないでしょうか。所詮、糞な人間なので、糞を生み出す人間なので、そんな大した人物ではないし、素晴らしくもないし、だからこそ、愚かな自分にも気づいてくるのだと思います。それを認めることができた人は、「じゃあ、愚かな人間にならないよう生きていこう」と、生き方や考え方が変わってくるのだと思います。実際、私も、そのようにしてうつ病も治り、トラウマにも向き合い、今、糞人間ながらも、なんとか生きていこう、どうにかしてこの国を良くしていこうと取り組んでいます。糞人間だと自己卑下できたからこそ、生き方や考え方が変化してきました。選択するものが変わってきました。

糞だのクソだの、あまりいわれたくない言葉かもしれませんが、自分がそういう状態であり、そんなに大した人間でもなく、この地球にとってはむしろ人間は害にしかならないと思えるようになったら、自分よりも次世代や七世代先のことを考えられるようになりました。

何が一番大切にされるべきか。

あなたなら、何を一番大事に考えていきますか。行動していきますか。